勉強にはコツがある その7 国語編
というテーマでお送りします。
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まず、国文法の大切さについて書く。
我々は、国文法の学習を通して、生まれて初めて、言語をメタで認識することを学ぶ。
言語をメタで認識することは抽象度が高く、かつ、国文法は対象が母国語であるため、母国語話者としてはかなりのレベルに達している生徒が、その効用を日常生活で感じることはまずない。
この二つが原因となって、国文法の勉強は軽視、敬遠されがちだ。
とくに口語文法は、古典文法に比べて必要を感じることがより少ないため、
口語文法の指導と習得を困難にしている。
だからといって、これらの事情と国文法の重要さとは何の関係もない。
文意を正確にとらえるためには、国文法が不可欠である。
主語ー述語、修飾ー被修飾の関係が明確でなくて、どうして文意を正確に特定でるきだろうか。
重文、複文などを認識できるからこそ、複雑な文構造から、文意を特定できる。
国語の問題を解くためには、問題文を一字一句正確に読解できることが前提となる。
この前提条件を満たすためには、国文法の知識を使って、
レンズで対象物を拡大するがごとく、文意を正確にとらえなくてはならない。
もう一つ大切な事がある。
それは読書である。
大学入試でなぜ、国語の試験があるかを考えてみるとその重要さがわかる。
そもそも、国語の試験は、古文、漢文も含めて、何を試そうとしているのか。
国語の運用力とある水準以上の背景知識の有無が問われているのだ。
大学入試の国語の問題文をテクニックだけで読み解くことはできない。
ある一定水準の背景知識を咀嚼していることが求められる。
大学教育を受けるには、一般常識以上の教養が必要だからだ。
この背景知識を得るのに最も有効なのが読書である。
もちろん読書は、読み書きの力も養ってくれる。
文章作成能力と読書量は比例すると考えてよい。
特に記述式問題の解答作成には、問題文の言っていることを抽象化しなくてなならない。
単に国語の運用力以上の能力を求められているから尚更だ。
物事を抽象化して表現する能力も読書は養ってくれる。
読書の大切さをお話しすると、必ず受ける質問がある。
「どういう本を読んだらいいでしょうか」
この質問に答えるのはかなり難しい。
この質問に真剣に答えようとするとき、いつも思い浮かぶのは紀貫之の書いた古今集の仮名序である。はたしてこれを超える文章があるのだろうか。
中学生以下なら、濫読を勧めるが、これだけだと、すごく不親切でもある。
中学生までに濫読の時期を持ってほしいのだが、この世に善人も悪人もいるように、良書も悪書もあるからだ。
善人の顔をして、悪事を働く人もいるように、良書のふりをして、そのじつ稀代の悪書という本も多い。悪書に染まると、その影響は甚大で、個人の人生のみならず、国家をも破滅させるほどの力がある。そういう悪書を識者と思われる人々が勧める場合も多い。だから注意をしなくてはならないのだ。人生を歩むうえで、悪人とかかわらないというのは重要な処世術だが、読書にも同じことが言える。それだけ、難しい。
谷沢永一著「自作自注最終版 紙つぶて」文藝春秋社版
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は読書のいいガイドになってくれる。
これを乗り越える気概を持って読書に励んで欲しい。
最後に、問題演習について書く。
国語の得点力の向上に問題演習は不可欠だ。
志望校の過去問を使って、以下のことをできるだけ早期に始めて欲しい。
1. 選択肢を選ぶ問題なら、一つ一つの選択肢の正誤の根拠を明確にして、書き出す。
2. 記述式問題なら、解答に書くべき事項を特定して、書き出す。
3. これに基いて、実際に答案を作成する。
すべての選択肢、設問に対して、根拠を明確にすることを愚直に行ってほしい。
これだけで、得点力はみるみる上がっていく。
絶対合格!
再生時間は11分です。ぜひ聴いてみて下さい。
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