2025年11月07日

一発逆転合格はない。だから・・・ ♯1228

第1228回の今回は
一発逆転合格はない。だから・・・
というテーマでお送りします。


逆転合格と言う言葉がある。
意味するところを分かりやすく例を挙げると、
高3の夏まで部活をやっていて、
勉強を全くやってこなかった。
しかし、夏から猛勉強したら、難関と言われる大学に合格した。

こういうストーリーは多くの人の共感を生むので、
いろいろな人が同様のストーリーを語る。
いろいろなバージョンがあるが、部活が、乱れた生活など、
いろいろなものに代わったりするだけで、言わんとすることは同じであって、
短期間の集中的な猛勉強で一流大学に合格したという点に変わりはない。
このような経験を売りにしている人々も多い。

しかし、何の準備もしていなかった人が突然
ある日を境に猛勉強を勉強を始めることができるのだろうか。
学力ゼロから、たった数カ月の勉強で難関大学に合格できるのだろうか。
そして、どんな条件にある人でも同じことが実現できるだろうか。

逆転合格の物語を語る側と、それを受け取る側の間には、
無意識の前提存在する。それは、
「自分もこれで上手くいったんだから、
あなたたちも上手くいくに決まっている」
という前提である。

これを認知バイアスと呼ぶ。

人は誰でも前提条件が違う。
中高はほとんど勉強しなかったかもしれないが、
中学受験の時にかなりの勉強をやり、
学力が最高レベルまで到達していたという場合などを考えると
よくわかると思う。
家庭環境も本人の資質も在籍している学校も、文系か理系、受験大学など、
何もかもが違う。
同じ人はこの世に存在しない。

逆転合格は存在しない。
逆転合格ができた人はたまたま良い条件が重なっただけに過ぎない。
逆転合格ができるというのであれば、
試験の前々日まで遊んで、前日だけ全力で勉強すれば合格することになる。

逆転合格という幻想から目を覚まして欲しい。
心のどこかで逆転合格ができると思うことだけで、
人は、自分の怠惰や高慢、勝手な振る舞いを正当化してしまう。
それが、どんなに非合理的なことでもだ。

逆転合格などない。
逆転合格がないことを受けいれること。
そして、「先手必勝、後手必敗」の言葉をかみしめて欲しい。

教育は二つの目的がある。
1. 自分の生きるすべを身に着ける。
2. 人類の知的遺産を受け継ぎ、次世代に伝える。
あなたにはこういう尊い使命がある ということをいつも思って、
一心に勉強して欲しい。

学力を上げるためには3つのことをすればいい。
1. 覚えるべきことを覚える。
2. 徹底的に考える。
3. 何度も何度も反復する。
このことを愚直に実践すれば、どんな夢でも実現する。

逆転合格の夢に溺れることなく、
毎日を大切にして一心に努力して欲しい。
あなたが最高の結果を出されることを心から祈っています。

絶対合格!

再生時間9分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年10月31日

あなたには自由がある #1227

第1227回の今回は
あなたには自由がある
というテーマでお送りします。



「今を大切に一心に学んで欲しい」
わたしが皆さんにお伝えしたいことは、この一点に尽きる。
脳が爆発的に成長する時に一心に勉強して欲しい。
大切な大切な時期に寝食を忘れて、学んで欲しい。
子ども学ばなければ、人になれないからだ。

でも、もし学びたいと願う気持ちがあるなら、
躊躇なく学んで欲しい。
いつでもいい。何歳になってもいい。
いつでもいいので、一心に学んで欲しい。

学べば新しい発見がある。
新しい人生を創造できる。
物事を見る時、別の視点を得ることができるからだ。
その結果、判断がより正確に、迅速になる。

人は、学ぶことでどんどん成長できる。
成長に年齢制限などない。
知識は人をどこまでも豊かに幸せにしてくれる。


題名は失念したが、ある映画を思い出す。
黒人女性が、大富豪の家のメイドとして雇われる。
その家には莫大な量の本があることに驚き、
彼女はその家の主に尋ねる。
「これを全部お読みになったのですか」
主人は笑って「もちろん」と答える。

彼女は、帰宅するとすぐに小学生の息子の所に行き、
息子が見ているテレビのスイッチを切ってしまう。
そして、勉強をするように言いつける。
その後、その息子はいろいろな障害を克服して、
立派な人になるというストーリーだ。


SNS、Youtube、そういうものは全部時間泥棒に過ぎない。
あなたの大切な時間を奪っていく泥棒だ。
泥棒に好き勝手させてはいけない。
拒否する自由をあなたは持っているのだ。
あなたは、自分の意志で、スマホの契約を解除できる。

自由はあなたの手の中に、すでにあるのだ。
そして、学ぶことも。
どういう人生を選ぶかも。
ぜんぶ、あなたの自由なのだ。
あなたは、自由を持っているということをいつも思い出して欲しい。

絶対合格!

再生時間4分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年10月24日

授業は復習・確認のためにある #1226

第1226回の今回は
授業は復習・確認のためにある
というテーマでお送りします。



先生も生徒も親も、皆が誤解していることがあります。

それは、授業・定期テストの役割です。
「授業は復習・確認のためにある」
このことがほとんどの人はわかっていません。

理解、記憶、習得は自分自身でしかできません。
授業で分からせるとか、わかる授業とかはそもそも存在しません。
自分で分かっていないことについて授業を受けても、わかるようにはなりません。
自分が身についていれば、先生の話を聴いて理解できます。
自分が身についていなければ、先生の話を聴いても全く理解できません。

英語ができるから、米人の話を理解できます。
英語ができなければ、米人の話は全く理解できません。
当たり前のことです。
自分で記憶し、演習し、理解を深めていくしかありません。

学校での講義の役割は
1. 自分は正しく理解しているか。
2. 自分は身についているか。
3. 自分は正しく記憶しているか。
こういう点をチェックするために存在します。

学校の授業を大切にするのなら、
事前にその内容を理解し、記憶し、身につけておかなければなりません。
そうでないと、授業時間が全く無駄になります。

完璧に身に着けた内容を授業を聞くことによって、
復習し確認することができます。
それによって、理解がさらに深まります。

定期試験も同様です。
定期試験の前に徹夜で勉強するなどどいいうのは愚の骨頂。
定期試験は復習なので、復習に準備をすること自体が不合理です。
何も勉強しないで定期試験を受けて、満点を取る。
それが当たり前で、そのように勉強しないと、
定期試験の時間も無駄になってしまいます。

定期試験が年に5回あるとします。
それぞれの準備に2週間かけるとします。
そうすると、1年に10週間。
6年で60週間。
1年は52週間です。
ということは、中高6年間のうち、1年以上を定期試験対策に
費やしていることになります。

これでは、入試で結果を出すのは難しい。
定期試験の度に自分の勉強が中断されることも意味するからです。

先々を予測してどんどん自分のペースで勉強しましょう。
自分の人生を自分の手の内に入れることができるのです。

絶対合格!

再生時間7分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年10月17日

「なぜか」理由を考えてみる #1225

第1225回の今回は
「なぜか」理由を考えてみる
というテーマでお送りします。



小学校3年生の時、社会科の授業で、石原先生が、
「丹那トンネル」について話をされたのを思い出す。
大変な難工事で、沢山の方が殉職されたというお話しだった。
すばらしい授業だった。

今この瞬間も、私たちのインフラを支えてくださっている人、
そのインフラをつくるために努力してくださった方、
有名無名の皆様のご活躍を知ることで、
人が健全に育っていく理由について考察したい。

教育とは何か。

子どもは、視野が狭い。
それを広い世界に導いていくのが教育の役割だ。
子どもの世界とは、イコール自分の家のことに過ぎない。
それを広げることが必要になる。
大人になったから、自然に視野が広がるわけではない。
教育を受けるから視野が広がるのだ。
私も、石原先生のお陰で、
丹那トンネルの工事で殉職された方々に思いを馳せることができ、
丹那トンネルを維持管理されている方々に思いを馳せることができ、
丹那トンネルを通過する列車を安全に運行して下さっている方々に
思いを馳せることができる。
空間、時間を超えていろいろなことを感じ取り、考えることができる。

丹那トンネルだけでなくて、
日本にあるすべてのトンネルにも
殉職を含めた沢山の方の献身があることもわかってくる。
トンネルだけではなく、橋も同様だろう。
一つ一つの橋にも、たくさんの人々の命を懸けた取り組みがあったはずだ。
トンネルや橋だけではない、この世のすべてのものが、
人々の献身によって造られてきたことがわかってくる。

このように、子どもは意識を拡大させていくことができるようになる。
今までなかった視点を得ることができる。
自分が多くに人によって支えられ守られていることに気づいていく。
子どもにとって、多くの人にいつも守られているという感覚は
とても大切なものだ。
自分がこの世界の一部だどいうことも分かってくる。
子どもにとって一番必要なことは安心である。
安心の上に健全な成長がある。
自分が如何にして生きるべきかという問に対する答えも、
安心を基礎とした健全な成長の中に自然に出会うことができる。
学ぶことの大切さも、何をどのように学んでいくのかも、
自然な出会いの中で会得されていく。

大人も同様だ。
不安の多い世の中で、自分を見失っている人も多いはずだ。
そういうとき、会ったこともない、そして会うこともない
数多くの人々が自分を支えてくれていることに目を向けて欲しい。
そして、そういう人々に感謝を捧げて欲しい。
真っ暗闇にいると絶望的になっている人でも、
ここに救いがあるはずだ。

絶対合格!

再生時間7分半です。ぜひ聴いてみて下さい。
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2025年10月10日

自分事 VS 他人事 #1224

第1224回の今回は
自分事 VS 他人事
というテーマでお送りします。



受験の合否を分けるものは、
生徒が受験や勉強を自分の事として受け入れているかどうか、
ここに尽きると考えている。

受験や勉強を自分の事としている生徒は、徹底して勉強する。
教師の言うことはすべてノートし、まとめ、何度も何度も見直す。
不確かなことがあればすぐに辞書や辞典を引いて調べる。
そうやって、覚えるべきことを確実に記憶していく。
覚えることの大切さを知っている。
一言で言えば、手忠実(てまめ)である。

逆に、他人事の生徒は、指導者に何度も促されて、やっとノートをとる。
そもそもノートを持参していない場合もある。
ノートをとったとしても、ノートを見直すこともしない。
ノートの字が乱雑で読み返すことができない。
ノートをいとも簡単に紛失してしまう。
不確かなことを確認することはなく、いつまでも不正確なままにしておく。
覚えるべきことをいつまでたっても記憶しない。

自分事の生徒は「自分のやれることは精一杯やろう」と考えている。
今までわからなかったことがどんどんわかるようになり、
できなかったことがどんどんできるようになる。
「勉強ってなんて楽しい」と思っている。
わからないことはわからない。できないことはできないと、正直に言える。
だって、わからなことだって、できないことだって、
ちゃんと勉強をすればできるようになることを知っているから。
だから堂々としている。
自然に結果がついてくる。

他人事の生徒は「必要なことは全部周りの人ががやってくれるもの」
と考えている。
だから、自分でノートをとったり、見返したりする必要をそもそも感じない。
「なんで私がそんな面倒なことをしなくてはならないの、
 勉強なんて絶対したくないし、勉強なんてつまらない」
と思っている。
どんなに成績が悪くても、
「誰かが勉強をできるようにしてくれるはず」と思っている。
今、どんなに分からなくも、どんなにできなくても、
いつか誰かがなんとかしてくれる。
私にできない事なんか何にもない。
何でもできるようにしてくれるから、
できない私なんてどこにも存在しないんだ。
今できないことなんて、気にしない、気にしない。
入試だって、誰かが合格させてくれるに決まっている。

自分事の生徒が、志望校に合格し、
その後の人生でも結果を出していくのは当然だ。
受験のみならず、人生のあらゆる側面で両社の差は拡大していくのも当然だ。
年齢をかさねて、分別がつけば、考え方が自動的に変わるわけではない。
だから、人生の早い時期に「何でも他人事の世界」から
「自分の人生は自分で責任を持つという自分事の世界」
へ脱皮しなくてはならない。
どんなに他人事の世界が安楽であろうともだ。

ではどうしたらいいのか。
即席な方法はない。
だが、方法はある。

それは、自分がいかに他人の恩恵を受けて生きているかを
様々な角度から知らせること。
水道の蛇口を捻れば飲める水がふんだんに出で来る。
これを当たり前ではないということを教えること。
毎日食事がいただけることも同様。
ガス、電気、下水、鉄道、医療、身の回りのすべてのことに、
当たり前なものなど何もない。
このことを何度も何度も様々な角度から教えること。
毎日毎日、機会を見つけては繰り返すこと。
親から子どもに繰り返し話して聞かせてほしい。
家族で食卓を囲んでいる時などは絶好の機会だ。
そういう機会をとらえて、話をしてほしい。

いつも同じ話でもいいのだが、
子どもに話して聞かせたい話題を貪欲に勉強するのも素晴らしいことだ。
こういう立派な人がいたから今の自分たちがこうして生活できるという視点で、
本を探してみて欲しい。
そういう本を読んで、その内容を子どもに話して聞かせるほど
大切なことはない。
「お父さんはこういう本を読んだんだけれど、
その本にこんなことが書いてあってね」
という具合に、どんどん読んで話しをしてあげて欲しい。
親のこうした行為は、子どもの一生を決定づける。
これは大人である親にとっても計り知れない良い影響がある。
人生を激変させるほと大きな力が秘められている。
ぜひ、そういう体験をご家族全員でなさってください。

絶対合格!

再生時間は11分半です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年10月03日

バランスが大事 VS 一点集中が大事 #1223

第1223回の今回は
バランスが大事 VS 一点集中が大事
というテーマでお送りします。


最近、バランスが大切だという意見を聞くようになった。
勉強だけに偏らずに、いろいろなことを経験することが
大切だという考えかと思う。
もっともだと思う。

こういう考え方は昔からあった。
表現が変わっているだけだ。

昔は勉強ばかりでよかったが、
今は、それではいけないというようなニュアンスも読み取れる。
「昭和」はこうだったけれど、「令和」の今では、時代遅れだという、
最近はやりの言説と同様の意味が含まれているようにも思える。

結論から言うと、親がこのように考えていると、
将来的に子供に大きな負担を負わせる可能性がある。
また、言葉では言わなくても本音では、親が子供に
受験でいい結果を出してくれるように望んでいる場合には、
なおさらその可能性が大きくなってしまう。

昔の人は「二兎追う者 一兎も得ず」と教えてくれた。
勉強以外にも大切なことはあるというのは当たり前のことだが、
人は誰でも皆等しく、勉強や学問に真摯に向き合うことの結果として
「生きるすべ」を身に着け、
文明文化を次世代に引き継いでいくという大きな使命がある。
だからこそ、勉強をすることは大切な事なのだということを
片時も忘れてはいけない。

生命の連続、歴史の連続、そして、先人への敬意と感謝こそ
教育の根幹にあるものである。
先人への敬意を無くし、自らの使命を喪失して、それが、人と言えるのか。

バランスが大切だと考える時、
親は、決めることへの責任回避がないか自問自答する必要がある。
決めるのが怖いのだ。
タクシーに乗っても、いつまでも行先をタクシーの乗務員に伝えないのと同じ。
教育は、親が決めない事には先に進まない。
一歩も前に進まない。

バランスが大切で、勉強より大切なものを経験させてやりたいということは、
勉強以外のすべてを子供にやらそうとするのか。
それは不可能なことだ。

勉強以外のことは無限にあるのだから、優先順位を決めなくてならない。
どこまでいっても親が優先順位を決めることことから逃げることはできない。
その責任は親しか背負えない。
親がその責任を回避したら、それは、教育の放棄を意味する。

子供のやることは、勉強も含めて大したことではない。
だから、子どものやることはどんなことでも簡単にできてしまうから、
色々なことをやらせても大丈夫、と考える親も多い。

このように考えていると、どんどんやることが拡散していってしまう。
一つのこと向けられる時間やエネルギーはどんどん減っていく。

子供は、立ち上がるだけでも全身全霊を尽くす。
自らの力で立ち上がり、1メートルを歩むことは、
オリンピックの100m走で優勝するのと同じかそれ以上だ。
毎日、人生を賭けて挑戦しているのが子供なのだ。

大人は自分が初めて立ち上がった瞬間を覚えていない。
子供のやることは大したことがないと評価する。
子供が失敗をすると、
「こんな簡単な事をなんでできないのか」
「こんな簡単な事ができないなんてバカなの」
と思い、口に出す。

それと同時に、
「自分はそんな失敗したことがない」
「自分はこんなことを簡単にやってしまった」
と思う。
このような強い確信をもっている。

勉強に十分な準備をしなかった場合、当然勉強はできない。
成績も良くない。
そんなとき親は、
「自分は、いつも100点だった」
「自分は誰にも教わらなくても、全部自分でできた」
「こんなにいろいろしてあげたのに何でできないの」
と子供を責める。

すると子供は、周りの評価だけを気にするようになる。
自分は今、どんな努力をすればいいのかが分からなくなる。
自分は今、何を目指したらいいのかわからなくなる。
ただただ、親の目だけを気にするようになってしまう。
そうやって自分を見失ってしまう。
見失っていることすらわからなくなってしまう。

まず、勉強や学問の大切さを知ること。
そして、先人に対して敬意をもつこと。
そして、一点集中する決意を持つこと。
逃げ道はない。

絶対合格!

再生時間は11分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年09月26日

次もある VS 次はない #1222

第1222回の今回は
次もある VS 次はない
というテーマでお送りします。


板書をノートにとらない生徒がいる。

教師からすると、生徒にできるようになって欲しいと思って、
長い時間をかけて準備をし、話をし、板書をしているので
残念この上ないのだが、
当の生徒は、一切悪びれるところもなく
自分の爪を見たり
机の上に散らばった消しゴムのカスを手で玩んでいる。
隣の生徒に目を移すと、先生の言ったこと、黒板に書いたこと、
すべてを書き漏らすまいと、全力集中して、
ノートをとっている。

当然、入試の結果は火を見るよりも明らかなのだが、
そもそもどうしてこういう差が出るのか。

前者は、「次もある」と思い、
後者は、「次はない」と思っている。
この違いが、そのまま入試の結果に反映する。

別の例を挙げる。
AとBの二人の生徒がいるとする。
二人はほぼ同じ実力。
ともに東京にある○○大学を志望している。
しかし、共通テストの点が足りず、▽▽大学を受験することになった。
▽▽大学は、地方にある。

Aは、共通テストでかなりのアドバンテージがあったにもかかわらず、
それを逆転されて、結果は不合格。浪人することになる。

Bは、共通テストのアドバンテージをそのまま生かして合格。
▽▽大学に進学。
▽▽大学は、教授陣も一流、研究実績も一流、
もちろんノーベル賞受賞者も複数出している。

Aは「次もある」と考え、
Bは「次はない」と考えている。
この違いが大きな差を生んでいる。

Aが故意に▽▽大学に進学したくないので、不合格になるよう
わざと手を抜いたのかもしれないし、
そうでない別の理由があったかもしれない。
浪人して第一志望の○○大学に合格するかもしれないし、
不合格になるかもしれない。
それは誰にもわからない。

ただ、指導者からすると、▽▽大学は、受かる確率の高い、
それもかなり高い大学学部学科の受験なので、
それを不合格になったのはとても残念でならない。

指導者と受験生とそのご両親との違いは
合格と不合格は紙一重であることを知っていることであり、
一点を上げることの難しさを知っていることだ。
身を切るように、痛い程知っているのが指導者なのだ。
だから、私たちは、
「次はない」という気持ちで、指導に全力を尽くす。

人生は何があるかわからない。
来年、入試が通常通り行われる保証はどこにもない。
だからこそ、
その与えられたチャンスを全力でものにしていくという気持ちは
常に持ち続ける必要がある。
正常な危機感と集中力は表裏一体の関係にある。

だからこそ、あらゆることを振り捨てて、
絶対合格!

再生時間は5分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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2025年09月19日

君の問題演習に喜びはあるか? #1221

第1221回の今回は
君の問題演習に喜びはあるか?

というテーマでお送りします。



実力をつけるには、2つのことが必要になる。
その1 質の高い問題演習を行うこと。
その2 体系化された基礎知識を正確に理解し、記憶すること。
どんな科目であっても実力をつけ、得点力を上げるには
この2つのことが実践する必要があるし、
逆に、この2つのことが実戦できれば、実力、得点力は確実に上がっていく。
合格を手中にするためには、この2つのことをやり続ければいいだけだ。

次に考えなければならないのは次の2つのことだ。
その1 質の高い問題演習とは何か。
その2 問題演習の質を上げるにはどうしたらいいのか。
質の高い問題演習を考えるために、
質の悪い問題演習とはどんなものか考えてみたい。

質の悪い問題演習とは:
 ・問題文をよく読まない。
 ・問題が何を尋ねているの明確にしない。
 ・問題文をもとに、図やグラフ、表などを書かない。
 ・問題文に書かれている情報を整理しない。
 ・問題文を解くための基礎知識を連想して、はっきりと思い出そうとしない。
 ・問題文をサッと読んで、すぐに解答を見て、次の問題を解こうとする。
 ・わからないこと、あいまいなことを放置したままにする。
頭と手を使っていないのだ。
これでは、わかったという感激を永遠に持つことができない。

逆に、質の高い問題演習とは、頭と手を徹底的に使うことだ。
 ・問題文を何度も何度も読む。
 ・情報を整理し、グラフ、図、表を書く。
 ・必要な定理、知識などありとあらゆるものを正確に思い出す。
 ・思い出せなければ、教科書、参考書で確認する。
 ・思いつく限りの戦略、技術を試してみる。
 ・特別な場合を考え、計算してみる。
 ・どうしてもだめなら、解答の最初の方だけを読んで、再び挑戦する。
思いつくあらゆることをやってみるのだ。
これが、質の高い演習である。

こんなふうに取り組んだ問題が、最終的に分かったと思えたときの
感激の大きさは言葉では表現できないくらいうれしいものだ。
新しい知識、技術を確実に習得できるのは当然として、
分かるまで挑戦し続けたという体験は、人に大きな喜びをもたらす。
そして、次への意欲を沸き立たせてくれる。

質のいい演習ができたかどうかは、問題ができた、できないではなくて、
喜びを味わえたかどうかにある。

結果的に解答を読み、解答の一行一行を理解していくプロセスを
とらなくてはならなくなったとしても、あらゆることをやってみることを
実践するならば、そこには創造の喜びがある。

喜びと、驚き、感動。
そういうものに出会えるのが学ぶということだ。
これが、新たな原動力のなって私たちを駆り立ててくれる。
そして、さらに大きな喜びに出会える。

問題演習の後、是非して欲しいのが体系的な知識の整理と確認だ。
問題演習を、例えば、一単元終わったとしたら、
その単元の基礎知識を復習して欲しい。

理想は、白紙に、何も見ないで、その単元の基礎地知識を書いてみること。
有機化学だったら、アルコールとエーテル、アルデヒドとケトン、カルボン酸、
エステルと油脂、関係するすべての化学式、反応式を書いてみる。
もちろん、あやふやなところは、教科書や参考書を見て、しっかり確認して覚え直して欲しい。
基本知識を体系的に記憶しておくことは、どんな科目であっても、
問題演習の基礎になるし、
これなくして、問題演習の質を上げることはできない。

質の低い問題演習に終始する人は、これが足りない。
覚えるべきことを覚えていない。
記憶をいつまでたっても避け続ける。
そういう生徒は、問題演習の質を上げる以前の問題であり、
問題演習が時間の空費にしかならない。
自分の勉強の欠点に向き合ってほしい。

絶対合格!


再生時間は7分です。ぜひ聴いてみて下さい。

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